イオン高槻店
イオン高槻店(イオンたかつきてん)は、大阪府高槻市に所在するイオンリテールが運営・管理するショッピングセンター。旧称はジャスコシティ高槻。
イオン高槻店 AEON Takatsuki | |
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地図 | |
店舗概要 | |
座標 | 北緯34度51分31.46秒 東経135度38分39.79秒 / 北緯34.8587389度 東経135.6443861度座標: 北緯34度51分31.46秒 東経135度38分39.79秒 / 北緯34.8587389度 東経135.6443861度 |
開業日 | 1994年3月19日[1] |
施設所有者 |
日本都市ファンド投資法人[2] 三菱UFJ信託銀行株式会社[3] |
施設管理者 | イオンリテール株式会社 |
敷地面積 | 43,280.82 m² |
延床面積 | 59,506.89 m² |
商業施設面積 | 約25,000 m2 |
店舗数 | 77 |
駐車台数 | 1,700台 |
最寄駅 | 高槻市駅 |
最寄IC | 高槻IC |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
概要
編集1994年(平成6年)3月19日に「ジャスコシティ高槻」として開業[1]。当初は「グリーンシティー高槻」の仮称で建設計画が進められ、1991年(平成3年)4月に建設の届出がなされた。
阪急高槻市駅の東側には、1971年(昭和46年)11月30日に開業したダイエー高槻店[4]が出店していたが、当施設が大規模な駐車場を併設した郊外型ショッピングセンターとして開業したため[5]、駐車場のないダイエー高槻店[5]は競合により売上が減少し[5]、2000年(平成12年)10月31日に[6]閉店に追い込まれた[5]。
高槻駅前には元々西武百貨店のショッピングモール「オーロラシティ高槻西武」(現:高槻阪急) と松坂屋があり、商業激戦区であった。その後、2004年(平成16年)2月21日には平和堂が「アル・プラザ高槻」を核店舗としてシネマコンプレックスを併設する大型ショッピングセンター「アクトアモーレ」を開業し、[7][8]、オーバーストアとなって苦戦を強いられている。
2011年3月1日に、イオングループの店舗ブランド統合に伴い、ショッピングセンター名、核店舗名ともに「イオン高槻店」に改称した。核店舗はイオン高槻店で、専門店も多数入居するがショッピングモール形式とは異なり、箱型GMSとして77の専門店を有した。
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改装前の外観
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ジャスコシティ高槻時代の外観
付記
編集1963年にシロ高槻店として開店し、1992年に閉店したジャスコ高槻店(末期はディスカウントストアのビッグ・バーン)は、当ショッピングセンターとは別の店舗で直接の関係もなく、阪急高槻市駅の北側に店舗が存在した。旧ジャスコ高槻店の閉店から現在の高槻店の開店まで2年の間隔があり、旧高槻店はジャスコ新茨木店(現・イオンスタイル新茨木)に機能が統合されたといえる。閉店後の建物はパチンコ店となったが後に解体され、マンションが建設された。
脚注
編集- ^ a b 「関西地区、スーパー大型店出店ラッシュ 既存店含め競合激化」日本食糧新聞、日本食糧新聞社、1994年4月13日
- ^ 日本リテールファンド投資法人>不動産ポートフォリオ>ポートフォリオマップ>イオン高槻 - 2012年12月18日閲覧
- ^ 平成24年度大規模小売店舗立地法法第6条第2項(変更)届出の概要【2012年10月末】 - 経済産業省 2012年12月11日閲覧
- ^ 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
- ^ a b c d 大友達也「《研究展望》あの弱かったイオンがダイエーを呑み込んでしまった。何故?」『社会科学』79号、同志社大学人文科学研究所、2007年10月
- ^ 「ダイエー、ハイパーマート7店閉鎖 建て直しへ背水の陣」朝日新聞、朝日新聞社、2000年7月21日
- ^ 「平和堂、21日『アル・プラザ高槻』」を開業」日本食糧新聞、日本食糧新聞社、2004年2月20日
- ^ 「平和堂、物流体制を再構築、夏原社長『精度の高い改革を推進』」日本食糧新聞、日本食糧新聞社、2004年2月27日