アントニオ・キメンティ
アントニオ・キメンティ(Antonio Chimenti, 1970年6月30日 - ) は、イタリア・プッリャ州バーリ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはGK。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Antonio Chimenti | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1970年6月30日(54歳) | |||||
出身地 | バーリ | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
サンベネデッテーゼ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1988-1993 | サンベネデッテーゼ | 5 | (0) | |||
1991-1992 | → テンピオ | 35 | (0) | |||
1992-1993 | → モンツァ | 4 | (0) | |||
1993-1997 | サレルニターナ | 137 | (0) | |||
1997-1999 | ローマ | 32 | (0) | |||
1999-2002 | レッチェ | 98 | (0) | |||
2002-2006 | ユヴェントス | 11 | (0) | |||
2006-2007 | カリアリ | 43 | (0) | |||
2007-2008 | ウディネーゼ | 3 | (0) | |||
2008-2010 | ユヴェントス | 2 | (0) | |||
1988-2010 | 通算 | 370 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2012 | サンプドリア(GKコーチ) | |||||
2013- | イタリア U-21(GKコーチ) | |||||
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経歴
編集クラブ
編集サンベネデッテーゼ・カルチョのユース出身。トップチームでは出場機会に恵まれず、レンタルで経験を積んだ。
1993年より所属したサレルニターナ・スポルトではポジションを掴み、セリエC1優勝ならびにセリエB昇格に貢献した。この活躍がASローマのフランコ・センシ会長の目に留まり、1997年に同クラブへ移籍した。
ローマではミヒャエル・コンゼルとのポジション争いになり、1年目は8試合の出場に留まったが、2年目は24試合に出場した。しかし、ポジションを固めるには至らなかった。
1999年、セリエAに復帰したUSレッチェへ移籍。2年連続での残留に寄与したが、2001-02シーズンは16位に終わりセリエBに降格した。
2002年、ユヴェントスFCに移籍。ジャンルイジ・ブッフォンの控えを務めた。2005年はブッフォンが負傷し離脱したが、ACミランからクリスティアン・アッビアーティが加入したため出場機会には恵まれなかった。
出場機会を得るために2006年1月2日にカリアリ・カルチョへ移籍。アンドレア・カンパニョーロとファビアン・カリーニを抑えてポジションを獲得し、21試合に出場した。しかし、翌年はマルコ・フォルティンにポジションを譲る試合が増えた。
2007年6月29日、ウディネーゼ・カルチョへ移籍。レンタル修行から復帰したサミール・ハンダノヴィッチがモルガン・デ・サンクティスの後継者としてポジションを確保したため、控えとしての扱いだったがチームをサポートした。
2008年7月19日、エマヌエレ・ベラルディと交換する形で1年半ぶりにユヴェントスに復帰した。しかし、アレクサンダー・マンニンガーが同時期に加入したため第3GKに降格。初年度はブッフォンが負傷で離れる時期が多かったが、マンニンガーが代役として起用されたため出場機会がなかった。翌年にブッフォンは左膝を手術した際も、代役にはマンニンガーが起用されたため出場機会には乏しかった。
シーズン終了後に現役引退を表明した。
現役引退後
編集2012年7月2日、ユヴェントス時代の同僚であるチロ・フェラーラがUCサンプドリアの監督に就任することに伴いGKコーチとして招聘された[1]。
2014年より、かつてローマで共にプレーしたルイジ・ディ・ビアジョ率いるU-21イタリア代表のGKコーチに就任することが発表された[2]。
エピソード
編集- 父親のフランチェスコと叔父のヴィトも元サッカー選手。自身は2女の父でもある。
- 2010年3月21日のUCサンプドリア戦でアントニオ・カッサーノに決勝点を決められ0-1で敗れると、試合後に控え室のテーブルを叩きつけ手を骨折するという事件を起こした[3]。当時はブッフォンとマンニンガーが共に離脱しておりトップチームのGKが全員負傷という事態に陥ったが、両者はその後すぐに復帰したため大事には至らなかった。
タイトル
編集- ユヴェントス
- セリエA : 2002-03
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2002, 2003
脚注
編集- ^ “Sampdoria, giovedì mattina la presentazione di Ferrara”. TUTTOmercatoWEB.com (2012年7月3日). 2018年2月2日閲覧。
- ^ “Convocati Italia Under 21: 27 Azzurrini per Di Biagio”. Calciomercato.com (2014年5月26日). 2018年2月2日閲覧。
- ^ サッカー=ユベントスGKキメンティ、手を骨折ロイター通信 2010年3月23日
外部リンク
編集- Antonio Chimenti - player profile Transfermarkt
- Antonio Chimenti - manager profile Transfermarkt