アワーラッシー (Our Lassie、1900年 - 1916年) は、イギリス競走馬。主な勝ち鞍は1903年の英オークス

アワーラッシー
1903年のアワーラッシー
(鞍上はモーニントン・キャノン英語版
欧字表記 Our Lassie
品種 サラブレッド[1]
性別
毛色 鹿毛[1]
生誕 1900年[1]
死没 1916年
Ayrshire[1]
Yours[1]
母の父 Melton[1]
生国 イギリスの旗 イギリス[1]
生産者 Jack Barnato Joel英語版
馬主 Jack Barnato Joel
調教師 Charles Morton英語版
競走成績
生涯成績 10戦2勝[1]
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産駒のレディブリリアントを通して20世紀競走馬の血統に大きな影響を与え、その牝系は現在も続いている。

生い立ち

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アワーラッシーは、現役中のオーナーでもあるジャック・バーナート・ジョエルによって生産された。

父は1888年に2000ギニーステークスエプソムダービー、1889年にエクリプスステークスで優勝したエアシャー英語版[2]。母のユアーズはイギリスで一大牝系を築いたグランドダッチスの孫で、競走馬としては未勝利に終わったが、繁殖牝馬としてユアマジェスティ英語版(アワーラッシーの半弟)などのステークス競走勝ち馬を輩出している[3]

その後、バークシャーウォンテージ英語版で、ジョエルの専属調教師であるチャールズ・モートンが調教を行った[4]

競走馬時代

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1902年(2歳)

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4月24日にサンダウンパークプロデュースステークス(5ハロン以上、2000ポンド)でデビューし、勝利を挙げた[5]。他の3レースでは、リングフィールドパーク競馬場のグレートフォールプレートで2着、リヴァプールのグレートランカシャーブリーダーズプロデュースステークスで3着、ヨーク競馬場のプリンスオブウェールズプレートで2着の成績を収めた[6]

1903年(3歳)

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アワーラッシーの生産者兼馬主でるジャック・ジョエル(1914年)

クラシック競走に向けて、古馬も出走する3月27日のリンカーンハンデキャップ英語版でシーズン初出走。レース前の数日間は食欲不振に陥っていたが、馬主のジョエルはアワーラッシーの斤量がわずか84ポンドであること、すでにブックメーカーから10万ポンドの支援を受けていたことから、アワーラッシーの出走を決めた。しかし、やはり状態は悪く、優勝馬オーヴァーノートンの前に大敗した[7]

次走は5月29日にエプソム競馬場で開催される第125回オークスステークスに出走。ハマーコップ(ジュライステークス勝ち馬)が、1000ギニーステークスでアンラッキーな形で敗北したサンローズに先んじて1番人気となった。他には、バルブ、ダズリング、スカイスクレイパー(プリンスオブウェールズプレートでアワーラッシーに勝利した後、チェヴァリーパークステークスで優勝)などの有力馬が出走した。レースは波乱の展開となり、タッテナムコーナーでダズリングがサンローズと衝突し転倒。その時点でレディースマイルが先頭を走り、アワーラッシーはハマーコップに次ぐ3番手の位置を取った。最後の直線でハマーコップが前に出たが、アワーラッシーはゴール手前400m地点でハマーコップを悠々交わし、3馬身差をつけて優勝。スカイスクレイパーが3着に入線した[8]。馬主のジャック・ジョエルは、エプソムダービーに勝利したロックサンドとのダブルベットで1万ポンドを獲得したと伝えられている[9]

オークス勝利から1週間後、アワーラッシーはマンチェスターカップに出走したが、ジンファンデルの4着に終わった[10]

9月はドンカスター競馬場で開催されるパークヒルステークス英語版に出走したが、1000ギニーステークス勝ち馬であるクインテッセンス英語版の6着に敗北[11]。10月にニューマーケット競馬場で開催されたデュークオブヨークステークスもセプターの6着に終わった[12]

1904年(4歳)

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4歳になってからも現役を続け、6月にシーズン初戦のロイヤルハントカップに出走したが、チャールダーシュの前に大敗[13]。結局これ以降はレースに出走することは無く、年末に引退した[4]

繁殖牝馬時代

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競走馬引退後、アワーラッシーは馬主のジョエルが経営する牧場で繁殖牝馬となった。1906年から1914年の間に少なくとも8頭の子馬を出産し、1916年に死亡した[14]

  • Sweet Lassie:牝馬、1906年生れ。父Orme
  • Fair Lassie:牝馬、1907年生れ。父Orme。
  • Yetman:牡馬、1908年生れ。父Persimmon
  • Perilla:牝馬、1910年生れ。父Polymelus
  • Parhelion:牡馬、1911年生れ。父Sundridge。4勝[4]
  • Lady Brilliant:牝馬、1912年生れ。父Sundridge。
  • Hesperus:牡馬、1913年まれ。父Sunstar英語版
  • Hollister:牡馬、1914年まれ。父Sunstar。

産駒から活躍馬は出なかったが、Lady Brilliant産駒のBlack Rayが繁殖牝馬として牝系の拡大に貢献した。Black Ray産駒(アワーラッシーの曾孫)のうち、Eclairのラインからはブラッシンググルームアグネスデジタルアイルトンシンボリキングカメハメハなどが、Dawn Rayのラインからはレディーズシークレットビリーヴジャンダルムサークルオブライフなどが、Infra Redのラインからはゴルディコヴァミルリーフダイナコスモスフジキセキなどが出ている。

主なファミリーライン

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牝系図の主要な部分(太字はG1級競走優勝馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。

牝系図の出典:Galopp-Sieger

血統表

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アワーラッシー(Our Lassie)血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 タッチストン系

Ayrshire
1885 鹿毛
父の父
Hampton
1872 鹿毛
Lord Clifden Newminster
The Slave
Lady Langden Kettledrum
Haricot
父の母
Atalanta
1878 黒鹿毛
Galopin Vedette
Flying Duchess
Feronia Thormanby
Woodbine

Yours
1894 鹿毛
Melton
1882 鹿毛
Master Kildare Lord Ronald
Silk
Violet Melrose Scottish Chief
Violet
母の母
Your Grace
1886 黒鹿毛
Galliard Galopin
Mavis
Grand Duchess Lozenge
Ladylike
母系(F-No.) (FN:22-d) [§ 2]
5代内の近親交配 Galopin 3×4Newminster 4×5、Thormanby 4×5、Woodbine 4×5、Stockwell 5×5 [§ 3]
出典
  1. ^ [15]
  2. ^ [15]
  3. ^ [15]


脚注

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  1. ^ a b c d e f g h Our Lassie(GB)”. JBISサーチ. 2022年6月21日閲覧。
  2. ^ “Our Lassie”. Reines-de-course.com. (1942年7月13日). オリジナルの2013年9月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130911061530/http://www.reines-de-course.com/Articles/Articles%20N-Q/Our%20Lassie.htm 2012年9月6日閲覧。 
  3. ^ Grand Duchess - Family 22-d”. Bloodlines.net. 2012年9月5日閲覧。
  4. ^ a b c Mortimer, Roger; Onslow, Richard; Willett, Peter (1978). Biographical Encyclopedia of British Flat Racing. Macdonald and Jane’s. ISBN 0-354-08536-0 
  5. ^ Sporting Notes.”. The Star (Christchurch). pp. 1 (11 June 1902). 2022年6月25日閲覧。
  6. ^ English Racing”. The Press. pp. 6 (1 June 1903). 2022年6月25日閲覧。
  7. ^ English Racing.”. Auckland Star. pp. 6 (6 May 1903). 2022年6月25日閲覧。
  8. ^ Sporting.”. New Zealand Herald. pp. 3 (8 July 1903). 2022年6月25日閲覧。
  9. ^ Racing Fixtures.”. Auckland Star. pp. 7 (15 July 1903). 2022年6月25日閲覧。
  10. ^ Sport at Home”. Evening Star (Dunedin). pp. 8 (21 July 1903). 2022年6月25日閲覧。
  11. ^ Sporting Notes from Home”. The Australasian. pp. 21 (24 October 1903). 2022年6月25日閲覧。
  12. ^ Sporting Notes from Home”. The Australasian. pp. 21 (21 November 1903). 2022年6月25日閲覧。
  13. ^ Sporting Notes from Home”. The Australasian. pp. 19 (23 July 1904). 2022年6月25日閲覧。
  14. ^ “Our Lassie”. The General Stud Book 23: 676. (1917). hdl:2027/coo.31924066667340?urlappend=%3Bseq=788. https://hdl.handle.net/2027/coo.31924066667340?urlappend=%3Bseq=788 6 May 2018閲覧。. 
  15. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Our Lassie(GB)”. JBISサーチ. 2022年6月21日閲覧。

外部リンク

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