アブドゥルラフマーン・イブン・ファイサル・アール・サウード

アブドゥルラフマーン・イブン・ファイサル・アール・サウード (アラビア語: عبد الرحمن بن فيصل آل سعود ʿ、英語:Abdul Rahman bin Faisal Al Saud、1850年 - 1928年6月)は、第二次サウード王国の最後の君主であり、サウジアラビア王国建国の父であるアブドゥルアズィーズ・イブン・サウードの父親として知られている。

アブドゥルラフマーン・イブン・ファイサル・アール・サウード
Imam of Nejd
A photograph of Abdul Rahman bin Faisal seated and dressed in traditional Arabian clothing
1900年代初頭のアブドゥルラフマーン

在位期間
1889–1891
先代 アブドラ・ビン・ファイサル・アル・サウード
次代 ムハンマド・ビン・アブドラ・アル・ラシッド
在位期間
1875–1876
先代 サウド・ビン・ファイサル・アル・サウード
次代 アブドラ・ビン・ファイサル・アル・サウード

出生 1850年
死亡 1928年(77 - 78歳没)
ナジュド及びヒジャーズ王国,リヤド
埋葬 アル・ウード墓地
実名 Abdul Rahman bin Faisal bin Turki
王室 サウード家
父親 ファイサル・ビン・トゥルキ・アル・サウード
配偶者
子女
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関連項目 

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