うねめ通り
概要
編集郡山市街地を東西に貫く幹線道路であり、桑野三丁目交差点(国道49号交点)から西側は福島県道142号河内郡山線に、東側は郡山市道1-35号若葉桑野線[1]に、また、若葉町(福島県道296号荒井郡山線 福島県道57号郡山大越線交点)から西へ200mほどの区間は福島県道296号荒井郡山線に指定されている。
郡山市が太平洋戦争中に、軍都として誘致した軍事基地の相互連絡用途として「安積橋・上亀田線」を敷設[2]したことに発祥する。終戦後は未舗装のまま長年放置されていたが、1975年(昭和50年)に太田西ノ内病院が開院し、後に福島放送、ゼビオ本社、イトーヨーカドー郡山店、アメリカ村アーク[3]などが建設されて沿線が市街地化し、市内を通過する大通りとして市民に定着した。
市民は「軍用道路」と俗称していたが。1981年(昭和56年)に郡山商工会議所が市内主要道路の通称として、当区間は「うねめ通り」、ほかに旧国道4号郡山市中心部区間は「昭和通り」、郡山総合体育館前内環状線は「すずかけ通り」などを制定[4]するも定着せず、「うねめ通り」だけが定着している。
交差する道路
編集沿線
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ 尚うねめ通りのほとんどの区間が都市計画道路下河原町東線に指定されている。郡山市都市計画図 - 図郭割概略図 (PDF)
- ^ 平成13・14年度版 ふるさと郡山の歴史 - 郡山空襲について調べよう
- ^ 現在は閉鎖されている。
- ^ 郡山市 - ご提案・ご意見の公表 > 平成26年度 > 3月受付分 > 道路・河川
- ^ 郡山市 - ご提案・ご意見の公表 > 平成26年度 > 12月受付分 > 道路・河川